圓通寺は江戸情緒が残る東京都江戸川区向島にあり永代供養墓もあるお寺

圓通寺は江戸情緒が残る東京都江戸川区向島にあり永代供養墓もあるお寺

 

曹洞宗圓通寺は、東京の新名所の東京スカイツリーのお膝元にあります。とは言え、圓通寺がある所は江戸情緒が残る東京の下町の墨田区向島です。円通寺へは、電車では東武伊勢崎線の「とうきょうスカイツリー駅」より徒歩5分、半蔵門線(地下鉄)の「押上駅」A3出口より徒歩10分、都営浅草線(地下鉄)の「本所吾妻橋駅」A4出口より徒歩10分、銀座線(地下鉄)の「浅草駅」より徒歩15分、都営バスの場合、草39路線の「上野松阪屋」→「上野駅前」→「浅草雷門」→「言問橋」、上26路線の「JR総武線亀戸駅前」→「言問橋」、いずれも言問橋停留所より徒歩3分、車の場合、浅草駅から5分程度の距離で、江戸通りを言問通り方面、言問橋を渡り、国道6号線との交差点を通過し、最初の信号を左折し、横断歩道の路地を左折した左に圓通寺があります。

 

 

圓通寺の縁起

 

圓通寺は元は圓通庵といい、日本の三禅宗の一つ、黄檗(おうばく)宗弘福寺(墨田区)を開山した鉄牛道機和尚の隠棲の地で、元禄年間(1688~1703年)に開設されたと伝えられていますが、事実は更に遡り鉄牛道機和尚が法弟・鉄関元参和尚に弘福寺を譲った貞享2年(1685年)の秋のことと考えられています。

 

この当時の圓通庵(圓通寺)の境内は、弘福寺の抱地にあったとは言え、1260坪という広大な敷地で、本尊の聖観世音菩薩が安置されていて、弘福寺と本末関係を結ぶ黄檗宗の寺院でした。

 

圓通庵を開山した鉄牛道機和尚は、日本黄檗宗の祖の隠元禅師の門に入り、後に隠元禅師の法弟の木庵禅師に師事し、隠元禅師の黄檗山万福寺開創を助け、全国に六十余か寺を建立した高僧で、後に大慈普応国師の勅諡(ちょくし)号を賜っています。

 

延宝6年(1678年)、弘福寺に住していた鉄牛道機和尚は下総に巡化し、椿沼開拓事業に着手したのです。この大事業が完了するのは元禄2年(1689年)のことで、この間、鉄牛道機和尚は開拓事業に携わる一方で、芝・瑞聖寺(港区)等で宗要挙揚に心血を注いだという記録が残っています。

 

圓通庵は鉄牛道機和尚が江戸と下総を往復する際の中継地に当たり、休息の地でもあったものと思われます。『大慈普応師年譜』によると、かつて椿沼開拓の際に鉄牛道機和尚自らが開創した香取・福聚寺(千葉県香取郡東庄町)で示寂し、同寺に葬られたと記載があります。

 

鉄牛道機和尚が示寂した後は弘福寺が圓通庵を管理していたのですが、次第に荒廃して行き、『江戸黄檗禅刹記』の「圓通庵略縁起」によれば、鉄牛道機和尚が示寂した後、幕府の命により本所・小梅周辺の寺院抱地にある庵室が取り壊され、圓通庵も一室を残すのみで、全て取り壊されたとあります。

 

その圓通庵は、享保16年(1731年)8月、圓成衍道和尚が弘福寺十六世として入山し、鉄牛道機和尚ゆかりの圓通庵を再興したのです。この事により圓成衍道和尚は圓通庵(圓通寺)の中興初祖と呼ばれています。しかし、この享保年間は八代将軍徳川吉宗の代で、「享保の改革」の時代であり、質素・倹約が尊ばれた時代で、寺院はもちろんのこと、庵室等の再建はとても難しく、しかも新地寺院であった圓通庵(圓通寺)の再興は殆ど不可能に近いことだったのです。しかし、稲葉家を初め、仙台藩の伊達家、備前藩の池田家、彦根藩の井伊家といった弘福寺ゆかりの藩主らの尽力により再建されたものと想像されます。

 

明和2年(1765年)、圓成衍道和尚は春江如昌尼を圓通庵(圓通寺)の二世に指名しました。これ以来、圓通庵(圓通寺)は明治中期に至るまで尼寺として存続してゆくのでした。

 

文政7年(1824年)弘福寺の抱地である圓通庵(圓通寺)の境内地1260坪のうち、1060坪を売却してしまいました。売却の理由はよく解りません。西南の隅に残された100坪の地が圓通庵(圓通寺)の境内地として残されました。

 

明治に入り廃仏毀釈運動が全国に広まり、全国の各寺院は荒廃を極め、圓通庵(圓通寺)もその例外ではありませんでした。その後、明治9年(1876年)、明治新政府によってそれまで臨済宗の一派に過ぎなかった黄檗宗は独立した一宗派として認定されます。

 

この時に同時に改宗も認められ、圓通庵(圓通寺)は曹洞宗に改宗します。それ以来、尼僧が住しました。

 

昭和20年(1945年)、圓通寺の開山・大達智道大和尚が住職となり、寺格昇等の許可を得て、法地寺院として圓通庵から圓通寺へと改称することとなります。第二次世界大戦により焼失した境内に大達智道大和尚は木造の仮本堂を建立して布教に専念、檀信徒も徐々に増えて行き、しかし、堂宇は狭苦しくなったために、昭和42年(1967年)に庫裡(木造)・本堂(鉄筋)・地下駐車場からなる三階建ての寺院となりました。そして、年ごとに発展しながら現在に至っています。

 

墓地・永代墓・納骨堂

 

圓通寺の墓地は地下の室内です。

 

・永代墓

個人墓……50万円

夫婦墓……80万円

 

個人供養墓は地蔵尊の周囲に6基づつ、夫婦墓は4基づつ設置します。地蔵尊は全ての衆生を救済するという仏様なのです。永遠に守るという意味合いを込めて地蔵尊の周りに墓石を置きます。正面に戒名・名前を彫刻します。遺骨は地蔵尊下のカロートに安置いたします。戒名を圓通寺の過去帳に記載し、圓通寺法要時(彼岸、お盆、施餓鬼)に供養します。

 

参照:http://www.entuuji.or.jp/

 

・納骨堂

永代供養……30万円

納骨堂内の棚に遺骨を安置し、永代で預かるというものです。圓通寺各種法要(彼岸会、盂蘭盆会、大施餓鬼会)の時に供養します。毎年の年会費は必要ありません。

 

・納骨堂短期・長期お預かり

遺骨の年間保管料に2万円がかかります。期間は定めず利用者の都合に合わせるというものです。

 

参照:http://www.entuuji.or.jp/

 

この他に圓通寺では写経の会、絵本を届ける運動(ボランティア)、Kstudio主催のお寺でジャイロキネシス、日曜坐禅会、そしてお寺でヨガなどの催しを行っていて、開かれたお寺を目指しています。

 

寺院詳細

浄土宗圓通寺

所在地:東京都墨田区向島3丁目11-6

Tel.(代):03-3622-7045

電車では東武伊勢崎線「とうきょうスカイツリー駅」より徒歩5分、半蔵門線(地下鉄)「押上駅」A3出口より徒歩10分、都営浅草線「本所吾妻橋駅」A4出口より徒歩10分、銀座線(地下鉄)「浅草駅」より徒歩15分、都営バスでは草39路線「上野松坂屋」→「上野駅前」→「浅草雷門」→「言問橋」、上26路線「JR総武線亀戸駅前」→「言問橋」、といずれも言問橋停留所より徒歩3分、車では浅草駅より5分程度で、江戸通りを言問通り方面、言問橋を渡り、国道6厳線殿交差点を通過し、最初の信号を左折、横断歩道の路地を左折始祖の左側に圓通寺があります

お墓:圓通寺の地下室の墓所の永代墓、納骨堂

 

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