宝成寺は禅宗様(唐様)の建物が美しく永代供養も行っている千葉県船橋市のお寺

宝成寺は禅宗様(唐様)の建物が美しく永代供養も行っている千葉県船橋市のお寺

 

曹洞宗茂春山宝成寺は天正年間(1573~1593年)からの400年以上の歴史を持つ由緒正しい禅宗の寺院です。古くは徳川家康公御入国、御順見の際、長久手の戦い、関ヶ原の戦いで軍功があった成瀬正成公が供奉し、行徳領に更封を請け、当時下総国葛飾郡栗原郷において知行四千石余を賜り、領地内にあった法城寺を菩提所とし、城の寺を成瀬の成の字に、法の字を寶の字に替え、法成寺と改名したのが法成寺の始まりです。

 

法成寺へは京成電鉄の「京成西船橋駅」で下車し徒歩で5分、京成電鉄の「東中山駅」より徒歩10分、JR総武線の「西船橋駅」より徒歩12分の所にあります。

 

 

宝成寺の縁起

 

前述の通り、徳川家康に仕え、軍功があった成瀬正成が供奉し、行徳領に更封を請け、知行四千石余を賜り、徳川家康の上意にて栗原八か村(本郷村、寺内村、古作村、印内村、小栗原村、二子村、山野村、西海神村)が領地となり、領地内にあった法城寺を菩提所とし、城の字を成の字に、法の字を寶の字に替え、宝成寺と名乗ります。

 

開山は月渓智泉大和で大本山總持寺改組常済大師十三世法孫に当たります。開基は葛西六郎茂春、法名を茂春宗繁居士です。

 

宝成寺改称当時は草庵同様の佇まいであったのですが、当山三世、名州太誉和尚の代(1600年代中期)に成瀬氏より法器、仏具の新添をうけ、殿堂の建立も行い、曹洞宗宗門の宗風をもり立てる専門道場を建立したのです。前本堂は当山十三世、須山大亨和尚の代(1789年)、犬山城五代目城主、成瀬正泰公により建立されたものです。

 

栗原藩成瀬氏の光芒

 

成瀬正成は徳川家康の側近の一人で、軍功を積み重ね、天正18年(1590年)に家康が関東に移ると栗原郷4千石は成瀬正成に与えられたのです。その後も、正成は関ヶ原の合戦においても軍功を重ね、境奉行などの職を歴任し、石高を加増されて大名に名を連ねたのです。家康の子、義直が尾張徳川家を創設すると、そのお付家老として義直の後見役に任ぜられ、元和3年(1617年)に終わり犬山城主となったのです。その後、正成は寛永2年(1625年)、江戸で没し、栗原本郷の宝成寺で荼毘に付され、後に日光へ改葬されました。

 

正成の死後、犬山城主は長男の正虎が継いだのですが、正成は生前、次男の之成に栗原4千石を譲っていたので、之成が栗原藩の二代目となりました。しかし、之成が寛永11年(1634年)に39歳で没したので、わずか1歳の之虎が後を継いだのです。ところが、その4年後に之虎はわずか5歳で夭折し、栗原藩は断絶してしまったのです。一方で、犬山の成瀬家はその後も続き、明治時代は子爵になっています。

 

宝成寺は、江戸における成瀬家の菩提寺とされていましたので、栗原藩断絶後も一族の墓は営まれ、明治9年までの墓碑が残されています。

 

永代供養墓

 

現在の少子高齢化の影響でお墓事情もすっかり様変わりしています。お墓の跡継ぎがいない、子どもにお墓のことで迷惑をかけたくないなど、お墓について悩んでいる人が増えています。

 

宝成寺では永代供養墓を建立しました。また、合同供養墓「茂春の苑」は有縁無縁、つまり宗派に関係なく誰でも利用できるものです。茂春の苑は平成20年10月、有縁無縁の仏様がこの苑に集い、寺を訪れる者の供養を受けて、心穏やかに過ごせるようにとの願いを込めて、本堂の落慶に合わせて建立開眼しました。

 

本堂について

 

宝成寺は曹洞宗の禅寺です。つまり、本堂は禅宗様(唐様)といわれる建築様式に基づいて建立されました。禅宗様建築は鎌倉時代に、道元禅師らによって禅宗が中国から日本に伝わると同時期に建築様式です。禅宗の教風高揚に勤めた僧侶らは宋の禅風の行事作法を守ると共に、宋様式の建築様式の輸入にも務めたのです。鎌倉以前の様式(和様)とともに、現在では日本建築様式の二大主流となっています。永平寺を開いた道元禅師も帰国に当たり、宋の匠、玄盛繁をつれて永平寺門前おいて寺門の営繕に当たらせたと言われています。

 

禅宗建築の特徴

 

・基壇

石積みの基壇の上に立てるのが原則で、飛鳥・奈良時代の高い壇上積みと比べると低い切石積み、乱石積みが多いのが特徴です。

 

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・基礎

礎石と柱との間に礎盤と呼ばれるそろばんの珠のような形をしたものを挿入するのが特徴です。

 

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・柱

円柱が基本で、上下に粽(ちまき)と呼ばれる曲線状のほとりがつけられるのが特徴です。

 

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・壁

地貫(じぬき)・腰貫(こしぬき)・内法貫(うちのりぬき)・飛貫(ひぬき)・頭貫(かしらぬき)など多くの貫を通して軸部を形作ります。

 

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・抖栱(ときょう)

抖は枡、栱は肘木(ひじき)のことで抖栱は組物のことです。柱上の組物との間には詰組みと呼んで柱上の組物と同じものを柱間隔に応じて一組または数組み入れて、殆ど組物と組物とが密接して並べられるものを特徴とします。

 

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・軒

軒の反りは一般に強く、垂木は繊細です。垂木の配置は建物の中心から四方へ放射状に配置され、これを扇垂木と呼びます。

 

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・天井

母屋の部分は鏡天井と呼んで格縁や竿縁を入れず、板を一面に平に張り詰めた天井を用い、墨絵の雲龍等を描きます。

 

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・木鼻

木端(きばな)の意味で水平材の柱を超えて出た部分に取り付けます。これは和様建築には見られない禅宗様特有のものです。

 

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・開口部

窓には花頭窓(かとうまど)と呼ぶ、上部が数個の弧形からなる茨(いばら)曲線のアーチ型の輪郭をした窓枠に縦に連子(れんじ)を入れ、内側に明障子を建て込みます。

扉は桟を縦横に組んでその間に鏡板(かがみいた)を嵌め込んだ桟唐戸(さんからど)を使います。扉の上部は鏡板の代わりに連子や格子が嵌め込まれたものが多いです。欄間には波形欄間(なみがたらんま)・立涌欄間(たちわきらんま)・弓欄間(ゆみらんま)と呼ばれる曲線系の板連子を入れるのが禅宗様の大きな特徴をなしています。

 

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・虹梁(こうりょう)

梁(はり)の一種で屋根や天井の荷重を受け止めたり、本屋(母屋)と廂(ひさし)とを連結したりする重要な役目があります。禅宗様虹梁は下端の反りの部分に弓形に眉と呼ぶしゃくりを付けたり、下から見上げ中央に釈杖彫(しゃくじょうぼり)を入れるのが禅宗様では一般的です。また、高低差の或る処を繋ぐために、湾曲した海老虹梁(えびこうりょう)を使います。虹梁の上には上部の荷を受けるのに、大瓶束(たいへいづか)と呼ばれる束が使われます。

 

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本堂の内部

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たから塾

宝成寺では古来のお寺の姿を取り戻すべく、「たから塾」と呼ばれる、例えば坐禅会などの様々な試みを法成寺では行っています。

 

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・宝成寺坐禅会

第二月曜日に行われています。どなたでも参加できますので、自己を観相して瞑想に耽る静謐な時間を欲しているのであれば是非参加してみてください。

 

・住職康和

毎月一回、宝成寺の住職の講話が行われています。

 

・むかしあそび教室

昔の遊びを通して例えば高齢者と子供たちとの交流を図るなど、様々な世代の交流を遊びを通して行うことを目的とした「教室」です。

 

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・造形教室

絵を描くことで認知症の予防や心のケアを目的とした「教室」です。

 

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【寺院詳細】

曹洞宗 茂春山宝成寺

所在地:千葉県船橋市西船6-2-30

Tel.(代):047-336-1711

京成電鉄の「京成西船橋駅」より徒歩5分、京成電鉄の「東中山駅」より徒歩10分、JR総武線の「西船橋駅」より徒歩12分

お墓:永代供養墓、合同供養墓「茂春の苑」

 

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