寛永寺は江戸時代に上野に建てられ永代供養墓「光明閣」を建立したお寺

寛永寺は江戸時代に上野に建てられ永代供養墓「光明閣」を建立したお寺

 

天台宗別格大本山東叡山寛永寺は、元は上野公園もその境内であった広大な寺院でした。その寛永寺へは、電車ではJR山手線の「鶯谷駅」南口より徒歩約5分、「上野駅」公園口より徒歩約10分、車では首都高速道「入谷出入口」より約5分のところです。

 

 

寛永寺の縁起

 

寛永寺は寛永2年(1625年)に、徳川幕府の安泰と万民の平安を祈願するために江戸城の鬼門に当たる(方角が東北)上野に慈眼大師(じげんだいし)天海大僧正によって建立されたのです。その後、第四代将軍・徳川家綱公の霊廟が造られ、徳川将軍家の菩提寺にもなりました。また、東叡山主を皇室から迎えた(輪王寺宮)ことで、江戸時代には格式と規模において我が国随一の大寺院へと上り詰めました。最盛期には現在の上野公園を中心に約30万5000坪におよび、更にその他に大名並みに約1万2000石の寺領を有していました。そして現在の上野公園の噴水広場には根本中堂、現・国立博物館には本坊(輪王寺宮のお住まい)、更に清水観音堂、不忍池弁天堂、五重塔、開山堂、大仏などの伽藍が次々と建立されて、子院も各大名の寄進により三十六坊を数えたほどです。

参照:http://www.komyokaku.jp/

 

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しかし、幕末の戊辰戦争では境内に彰義隊が立てこもって戦場の舞台となったがために、官軍が火を放ち、全山の伽藍の大部分が失われることになりました。そして、その懲罰も兼ねたのか敷地の大部分が上野公園になってしまいました。また、大正12年(1923年)の関東大震災や第二次世界大戦による被害もありましたが、戦後は格式にこだわることはなく、新たに霊園を造営することで一般の檀家を受けいれるなど、万民に開かれた寺院としての役割を果たすことを目指す道を歩んでいます。

 

寛永寺は2025年に創建400周年を迎えます。現在、寛永寺ではそれに向けて準備を進めながら、それと共に上野に刻まれたその歴史の重みを今に伝えているのです。

 

ちなみに東叡山という山号は「東の比叡山」を意味しています。

 

永代供養墓「光明閣」

 

超少子高齢化の時代の到来と共にお墓事情も激変しています。菩提寺がそもそもない方、身寄りのない方、お墓の継承者や縁茂者がいなく、また、将来いなくなってしまう方、郷里や墓地が遠方でなかなか墓参が出来ない方、そして有縁の遺骨の埋葬先に困っている方のために寛永寺では永代供養墓「光明閣」が建立されたのです。

 

納骨の方法は自由に選択ができ、また、過去の宗旨・宗派は問いません。

 

・納骨檀

・個人型(単体型)

・夫婦型

 

参照:http://www.komyokaku.jp/

 

納骨堂内の壇に希望年数終了まで骨壺に入れた状態で安置し、その後、永代供養墓(共同合祀)に納骨する形のものです。例えば、一周忌ですと納骨壇使用料10万円+永代供養料50万円の60万円、33回忌では320万円+永代供養料50万円の370万円となっています。つまり、収骨年数×10万円の使用料が納骨壇にはかかるということです。

 

永代供養墓(共同合祀)

契約当初より共同合祀の上に永代供養する形です。

参照:http://www.komyokaku.jp/

 

一霊位50万円です。

 

供養方法に関してですが、寛永寺の僧侶が毎日廻向を行います。また、毎月15日(本尊・阿弥陀如来 縁日)、毎月18日(永代供養墓本尊・聖観世音菩薩 縁日)、特に12月15日には特に盛大な総廻向法要が行われます。そして、両彼岸(春・秋)・お盆(7月)の廻向法要(施餓鬼会)です。

 

天台宗とは

 

天台宗は歴史の教科書でもよく知られている伝教大師最澄上人によって開創され延暦25年(806年)に朝廷より公認されました。最澄は近江国(現在の滋賀県)に生れ、近江国分寺で修行、更には当時の都の平城京(奈良)で勉学に励んだのです。しかし、最澄は奈良仏教では満足できずに故郷の比叡山に籠もり、十二年間求道と研鑽を毎日積んで日々を送りました。やがて都を平安京(京都)に移した桓武天皇の期待に応ずる形で、新仏教を確立するために中国へと渡ったのです。

 

中国では天台山において正式に天台法門を学び、その他に密教、禅法、戒律を伝承して帰国します。そして、最澄は比叡山に伝承してきた法門を総合した雄大な教理論の日本天台宗を興したのです。また、比叡山は京都御所の鬼門にあたる所により朝廷から安寧と五穀豊穣を祈る鎮護国家の道場となり、嵯峨天皇より延暦寺の寺号を賜ります。

 

やがて日本天台宗の思想は弟子達によって更に深められることとなり、浄土教も加えて日本文化に多大な影響を与えています。円仁、円珍、良源、源信、慈円などの名僧を輩出し、また、鎌倉仏教の祖師達、法然(浄土宗)、栄西(臨済宗)、道元(曹洞宗)、日蓮(日蓮宗)、親鸞(浄土真宗)、一遍(時宗)などを排出し、比叡山は日本仏教の母山と呼ばれているのです。

 

天台宗の教えは、法華経の説く一乗仏教、つまり、全ての人々が何ものであろうが分け隔てなく仏になれるという教えです。法華経では、また、「諸法実相」を説いているのですが、これは「この世の中に存在するもの(諸法)は、全てのものがそのまま真理のあらわれ(実相)である。」という意があります。この見方が出来たときに、我々は誰もが仏の目でこの世が見られ、その可能性は誰もが持っているのです。つまり、仏になる種(仏性)を持っているということです。

 

【寺院詳細】

天台宗東叡山 寛永寺

所在地:東京都台東区上野桜木1丁目14番11号

Tel.(代):03-3822-2630

JR山手線の「鶯谷駅」南口より徒歩約5分、「上野駅」公園口より徒歩約10分、車では首都高速道「入谷出入口」より約5分

お墓・霊園:寛永寺境内「第1霊園」「第2霊園」「第3霊園」、永代供養墓・納骨堂「光明閣」

開門時間:9:00~17:00

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