光明寺は徳川家康の寵愛を受けたという歴史あり永代供養墓もあるお寺

光明寺は徳川家康の寵愛を受けたという歴史あり永代供養墓もあるお寺

 

現在、光明寺は東京・神谷町光明寺、千葉・君津光明寺、そして埼玉・草加光明寺がありますが、その元を正せば東京・神谷町光明寺から分院して独立した歴史があり、その大本は神谷町光明寺です。その浄土真宗本願寺派梅上山神谷町光明寺へは、電車では東京メトロ(地下鉄)日比谷線の「神谷町駅」で下車し、地上の神谷町交差点から愛宕方面に30メートルほど進んだ右手の建物が神谷町光明寺です。車では、国道1号線(桜通り)神谷町交差点を東京タワーに向かって左折して、その後直ぐ右手が神谷町光明寺です。

 

 

光明寺の縁起とゆかりの品々

 

・徳川家康筆「日課念仏」

「南無阿弥陀仏」の名号を六段に書いたものです。徳川家康がさる高僧から一日に念仏六万遍を称えるように勧められたと言われます。

 

参照:http://www.komyoji.org/

 

建歴2年(1212年)に桜田霞ヶ関に真色山常楽寺(光明寺の旧称)が天台宗の僧、了栄によって創建されます。一説によれば建長2年(1250年)の創建とも言われています。

 

嘉禄2年(1226年)に関東滞在中の親鸞聖人の教化を縁に、了栄は天台宗から浄土真宗に宗旨替えします。

 

天文9年(1540年)に疫病の流行にあって、常楽寺の本尊の阿弥陀如来像が光明を放って人々を救ったと信じられたことから常楽寺改め「光明寺」とこれ以降称します。

 

天正18年(1590年)に徳川家康の江戸入府の際、光明寺の住職、証高(第十七世)が光明寺の境内の紅梅に古歌を添えて献上したところ、家康は大いに歓び、「開運梅」と証せよと命じました。その後、家康から栗田口国吉作の達が下賜されました。

 

・井伊直幸(なおひで)書状

江戸幕府の大老、井伊直幸の光明寺宛の書状。井伊直幸は彦根藩第13代藩主で、大老在任期間は天明4年(1784年)~天明7年(1787年)とされます。

 

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慶長9年(1604年)に江戸城造営のために寺領を元々の霞ヶ関より現在の西ノ久保に移転します。

 

正保2年(1645年)に徳川三代将軍、家光が光明寺を訪問した際に祖父の家康が光明寺の梅を喜んだと言う故事にちなんで山号を真色山から「梅上山」に改めるように命じます。

 

明和9年(1772年)に明和の大火によって本堂・庫裡が焼失します。この時境内に避難してきた人々の多くが焼死してしまいます。当寺の住職、証山(第二十四世)は死傷者を偲び、「焼死者の墓」を建立します。(神谷町光明寺の境内に現存します)

 

寛政4年(1792年)に文人僧、雲室(第二十六世)が光明寺に入寺します。

雲室は儒学などにも造詣が深く、また、詩画をたしなみ、当寺の文人達とも交流があり、とてもユニークな僧でした。

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・石上北天

明治初年の仏教弾圧・廃仏毀釈は全国の寺院・門徒に大打撃を与えました。そんな中で光明寺の第二十九世住職、石上北天は、仏教界再生のために宗派を代表する立場で活躍をしました。

 

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天保3年(1832年)に「梅上山」の山号を彫った石嗽鉢を和泉屋重次郎が寄進します。(神谷町光明寺境内に現存)

明治13年(1880年)に富山県出身の石上北天(大二十九世)が光明寺に入ります。

明治27年(1894年)4月10日に本堂庫裡を焼失します。

 

・棟方志功作「広大会」

「広大会」とは極楽浄土に多数の者が集まる徳を意味し、阿弥陀仏の別名の一つです。棟方志功は浄土真宗の信仰に関わる作品を多く残しています。この作品は昭和38年に富山県の棟方志功ゆかりの寺院から光明寺へと寄贈されたものです。(神谷町光明寺所蔵)

 

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大正4年(1915年)神谷町光明寺、本堂庫裡が完成します。

 

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大正12年(1923年)神谷町光明寺、関東大震災により本堂庫裡を焼失してしまいます。

昭和20年(1945年)3月10日の東京大空襲で神谷町光明寺仮本堂など全焼します。門徒・澤田家へ本尊を移し、仮寺とします。

昭和24年(1949年)神谷町光明寺境内に「西久保幼稚園」を開設します。(昭和42年休園)

昭和45年(1970年)神谷町光明寺の現在の本堂が寛政します。

昭和47年(1972年)に千葉県君津市に光明寺・君津分院が開設されます。そして、その後、君津分院は独立して君津光明寺となります。

平成9年(1997年)に埼玉県草加市に光明寺・草加分院が開設されます。そして、その後、草加分院は独立して草加光明寺となります。

 

墓地

・草加光明寺墓苑

光明寺が代々責任を持って管理する墓苑で、過去の宗旨・宗派は問いません。草加光明寺墓苑は全て新設墓地です。お墓を継ぐ人のない方も遺骨のない方もお求めになれます。

 

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永代供養墓は三十三回忌まで骨壺でお預かりする「収蔵」と、直ぐに合葬する「合祀」があります。

 

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家庭毎に独立した新型のロッカー式供養墓で、最新の技術を取り入れ、とても衛生的に優れています。

・永代使用料について

永代使用料とは割り当てられた墓地の区画を永代にわたり使用するための料金です。そして、年会護持会費とは墓苑の維持のために光明寺へと毎年納めて頂く会費のことです。

 

永代使用料と年間護持会費は面積によって違います。

 

・ロッカー式墓(永代供養)

ロッカー式墓についての契約料ですが、最上段が一番高く一段目が一番安いです。

永代使用料、年間護持会費、そしてロッカー式墓の契約料等は次のウェブページを参照してください。

参照:http://www.komyoji.org/

 

【寺院詳細】

浄土真宗本願寺派梅上山神谷町光明寺

所在地:東京都港区虎ノ門3-25-1

Tel.(代):03-3431-5985

電車では東京メトロ(地下鉄)日比谷線の「神谷町駅」で下車し、地上の神谷町交差点から愛宕方面に30メートルほど進んだ右手の建物が神谷町光明寺になります。車では、国道1号線(桜通り)神谷町交差点を東京タワーに向かって左折し、その右手直ぐが神谷町光明寺です。

お墓:埼玉県草加光明寺墓苑、永代供養墓、ロッカー式墓

 

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