江戸川エリアで永代供養も行っている妙泉寺は神仏を問わず受け入れる日蓮宗のお寺

東京都の最東端、千葉県に接する江戸川区は、区民一人当たりの公園面積が23区内第1位といいます。一つひとつの面積も広いところが多く、子供が安心して遊べるためか、住人に子持ち家庭が多いともいわれています。

とはいえ、それ以外の人にとっても休日をのんびり過ごすには最適な街といえます。特に軟式野球場やドッグラン、バーベキュー広場など、専門性の高い施設を備える篠崎公園や、谷河内テニスコートのある都営新宿線の瑞江~篠崎駅間は、こうした趣味のある人にとって絶好のエリアになっています。

こうした敷地面積の広い施設が多いのも、山手線の外側で、どちらかといえば東京より千葉に近いロケーションという理由なのでしょうが、同じような理由でお寺や神社の多い地域でもあります。その一つに、日蓮宗妙泉寺があります。


出典:http://www15.plala.or.jp/myosenji/index.html

江戸時代から領主とともに、当地を見守った寺

このお寺は、現在の江戸川区谷河内が、総州(下総国)東葛西領の谷河内村だった頃から存在する日蓮宗の寺院。開山は寛永11年(1634年)といいますから徳川3代将軍・家光の時代です。まだ伊達政宗が存命だった頃ですから、まだ江戸時代といっても戦国時代の雰囲気の残る初期ということになります。

厳密にいえば、下総ですから江戸ではないのですが、旗本だった松浦氏の領地ということで、ある意味で江戸の中心部より由緒正しい土地柄といえます。特にこの松浦氏は、徳川4大将軍・家綱と9代・家重、そして11代・家斉の知性にそれぞれ3人もの勘定奉行を輩出したエリート家系。

勘定奉行といえば現在の財務大臣に相当する要職ですが、特に家重に仕えた松浦河内守(かわちのかみ)信正は、目付や大坂町奉行など歴任した上での勘定奉行就任と、要職で次々に結果を出した上での出世であることが想像できます。しかも勘定奉行に就任した2年後には、長崎奉行も兼任するほどの信任の厚さ。外交の相手が今より大幅に少ないとはいえ、外務大臣級の仕事を財相と兼務したわけです。

そんなエリート官僚である松浦信正が法華経の写経を行い、奉納したのが妙泉寺で、1759年(宝暦9年)にはこれを記念した石塔、写経塔が建立されました。石造(いしづくり)角柱型の供養塔で、写経そのものは容易に閲覧できませんが、この石塔から信正の信仰心と、領地への思いをうかがい知ることができます。


出典:https://www.city.edogawa.tokyo.jp/e_bunkazai/shiryoshitsu/hakken_sheet/human.files/9-03.pdf

この写経塔に加え、信正の肖像画である「紙本著色松浦信正像」と、信正の名が墨で書かれた「墨書木箱」の3点が妙泉寺にはあり、いずれも江戸川区の有形文化財に指定されています。肖像画は谷文晁(たに・ぶんちょう)の師匠としても知られる狩野派の画家・加藤文麗によるもので、信正関係の歴史資料でなくとも、美術品としても価値あるものです。


出典:https://www.city.edogawa.tokyo.jp/e_bunkazai/shiryoshitsu/hakken_sheet/human.files/9-03.pdf

また、桐材木箱は蓋のみが現存し、表に「藤娘 一幅」、裏には「明和二乙酉年正月 松浦可謙斎納」と墨で書かれたもの。一幅、は絵画の数え方で、「藤娘」は歌舞伎の演目であることから役者絵のパッケージだったと想像されます。

「可謙斎」はいわゆる雅号と呼ばれるあだ名で信正のこと、「明和二」は年号で1765年のことです。さらに「乙酉(きのととり)」と十干・十二支を組み合わせることで、西暦を使わずに正確に年月を特定できるようにしています。信正の享年は1769年(明和6年)と伝わっていますから、自分の時間を自由に使えるようになった、趣味人としての信正の晩年が偲ばれます。

もう一つの名物?は、水辺に近い土地ならではの稲荷大明神

妙泉寺にはもう一つ、歴史を今に伝えるものがあります。それが「安宅丸(あたけまる)稲荷堂」です。

安宅丸とは、当時の金額で十万両ともいう予算をかけ、徳川3代将軍・家光の代に建造された将軍家の巨大「御座船(ござふね)」。御座船というのは将軍のほか、大名や公家など高位・高貴の人のための大型船のことで、安宅丸は、そんな中でも巨大さから「日本一の御舟」などと呼ばれ、江戸名物の一つにもなったほどです。

しかし、あまりに巨大な割に、推進力を人力と櫓に頼っていたため上手く動かせず、実用性よりも幕府の威信というか、将軍の権威を示すデモンストレーション用以外では、役立たなかったともいわれます。デカい割にはそれほど……というと戦艦大和が思い浮かびますが、あちらは戦時中は国民に対しても秘密兵器とされていたので、ちょっと違います。

大和の方は戦後、さまざまな模型を通じて、たとえば大型のものは呉市海事歴史科学館(大和ミュージアム)などでも親しまれていますが、安宅丸の方は維持費が幕府の負担となり、経済・財政政策の分かりやすい実例として、1682年(天和2年)に深川沖で解体されてしまいました。
船、特にこの当時の和船では、船玉(ふなだま)という守護神が航海の安全を守ると信じられており、船体中央の下部などに御神体をはめ込んだものですが、この安宅丸の船玉を妙泉寺に遷したのが「安宅丸稲荷堂」なのです。

船玉神社、と呼ばれるものは全国各地にありますが、元が元だけに船旅の安全から広がり、旅行の安全祈願そのものの御利益とするところもあります。ただ、安宅丸稲荷堂に関しては、豊作をもたらす「お稲荷さん」と習合されたようで、商売繁盛の御利益があると信じられています。船玉信仰は、漁師の間でも盛んだったことから、大漁祈願と繋がり、そう信じられたのかもしれません。

周囲にはこの他にも区内最古の神社である篠崎浅間神社や日枝神社、“鹿骨”の地名の語源となった鹿見塚神社など、由緒ある寺社がひしめき合っています。また、東京都と江戸川区指定の史跡・一之江名主屋敷や、変わったところでは盆栽作家・小林國雄氏による春花園BONSAI美術館にも足を伸ばせる位置にあり、いろんな角度から歴史と日本文化に親しむことができます。

寺社の多い街にあって、ひときわ相談しやすい敷居の低さを心がける

最後に宗派などについておさらいを。宗派は日蓮宗で、この派の例に漏れず、御本尊に十界曼荼羅をまつっています。「江戸川区史」によれば“常谷山”の山号で元々は千葉県平賀の本土寺の末寺であったとされています。開山した僧の名は正善院日喜上人といい、開基は谷河内村の名主・長左衛門とも、その祖先であるとも伝えられています。

肝心のお寺としても「お墓にあまりお金をかけたくない」といった、あまり口に出して相談できないような悩みにも積極的に乗ってくれるようで、宗旨宗派は不問としています。

また、希望者参加のお盆の合同法要では、お経の前に落語家さんを招いて、お話をしていただくなど、厳かなだけではなく、参加したくなる行事として提案しているようです。

近隣には、東京都唯一の公営葬儀場・瑞江葬儀所に加え、段取りから衣装まで対応する葬儀社経営のセレモ江戸川ホールもあり、出費を抑えたい人にも、大人数参加の会場に悩んでいる人にも便利なロケーション。

神にも仏にもお参りできて、歴史ある史跡にスポーツ施設もそろう江戸川区。そんなエリアの中でも、なるべく多くの仏さまを受け入れようと工夫している日蓮宗妙泉寺。身内に不幸があったときもですが、なんでもない休日に訪れてみるのも悪くないと思います。

寺院詳細

正式名称:日蓮宗妙泉寺
住所:東京都江戸川区谷河内1-6-12
Tel.03-3679-4924
最寄駅:都営新宿線 篠崎駅より徒歩15分
首都高速一之江インターから車で7分
京成バス・鹿骨2丁目より徒歩4分
参拝時間:8:00~17:00
お墓・納骨堂:永代供養墓「久遠廟」 合祀(1人)8万円/合同壇(1人)25万円/個別壇(1人)38万円


出典:http://www15.plala.or.jp/myosenji/eitai.html

妙泉寺周辺の地図

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