NHKで取り上げられた南春寺は永代供養付個人墓「無量壽」が有名

南春寺は新宿区のお寺

約四百年前の寛永6年(1629年)に新宿区四谷伊賀町(現在の三栄町)に創立された真宗大谷派の苗木山南春寺は、その後に早稲田に移転します。そして、明治元年に東京都新宿区弁天町103の現在地に堂を構えることとなりました。

ここは、東京23区の中心に当たり、交通の便が大変良いです。都営大江戸線(地下鉄)の「牛込柳町駅」、または東京メトロ東西線の「早稲田駅」のいずれよりも徒歩5分から7分のところにあります。

辺りには数多くの寺院があり、街並みは古き良き時代の息吹を残しています。南春寺の本山は京都の東本願寺で「お東」として親しまれていて、宗派は前述の通り真宗大谷派(浄土真宗)です。

「人が集うお寺」を目指して

現在の南春寺は平成23年(2011年)に参門建物はコンクリート構造で新築されています。

出典:http://www.nanshunji.com (南春寺・参門)

南春寺の境内は決して広いとは言えませんが、本堂、参道、墓地、納骨堂、永代供養墓、個人墓、法要施設など、時代の流れに柔軟に対応してきた利便性に優れた寺院として知られています。

出典:http://www.nanshunji.com(南春寺入り口)

出典:http://www.nanshunji.com(南春寺本堂・外観)

出典:http://www.nanshunji.com(南春寺本堂・祭壇)

出典:http://www.nanshunji.com(南春寺・無量壽)

南春寺は「人が集うお寺」を目指していて、来寺する人には誰に対しても細やかな対応を心がけています。「心が晴れやかになる、暖かな春が訪れるような、そんな寺院にしてゆきたい」ということが南春寺の心がけていることで、住職を始め、南春寺関係者は皆それに向かって精進の日々を送っています。

真宗大谷派(東本願寺)とは

真宗大谷派の本山は真宗本廟(東本願寺)ですが、その成り立ちは党派の宗祖である親鸞聖人の(1173~1262)の門弟らが親鸞聖人の遺骨を大谷(京都市東山山麓)から吉永(京都市円山公園付近)の北へと移し、廟堂を建立し親鸞聖人の影像を安置したことにその起源を持ちます。

親鸞聖人の娘・覚信尼(かくしんに)は門弟から廟堂を預かり、覚信尼自身は「留守識(るすしき)」として真宗本廟の給仕を務めました。それ以来、真宗本廟は親鸞聖人の開顕した浄土真宗の教えを聞法する根本道場として、親鸞聖人を崇慕する門弟の強い懇願によって護持されることとなったのです。

現在の形となったのは

第三代覚如(かくにょ)上人(1270~1351)の頃、真宗本廟は「本願寺」の寺号を名乗るようになり、その後の寺院化の流れの中で、本尊を安置する本堂(現在の阿弥陀堂)が併存するようになりました。このような経緯を経て真宗本廟は、親鸞聖人の御真影を安置する廟堂(現在の御影堂)と本尊を安置する本堂(現在の阿弥陀堂)の両堂形式というユニークな形式となったのです。

真宗大谷派の受難

時代は戦国乱世の世を迎えます。その時に現われたのは、五木寛之でつとに有名となった第八代蓮如(れんにょ)上人です。蓮如上人は生涯をかけて民衆の教化に努め、後に織田信長をも苦しめる強固な「教団」を作り上げ、蓮如上人は「真宗再興の上人(中興の祖)」として今も尚尊崇されています。

当時、京都東山にあった大谷本願寺は比叡山との関係で一時退転、蓮如上人の北陸布教の時代を経て、山科に再興されます。しかし、第十一代顕如(けんにょ)上人(1543~1592)の時代に織田信長との戦いに敗れ、大坂も退転することになります。このときに顕如上人の長男・教如(きょうにょ)上人は大坂本願寺に籠城し、義絶されます。その後、天正10年(1582年)に義絶はとかれ、豊臣秀吉の命により天正13年(1585年)に本願寺は大坂天満に再興されます。そして天正19年(1591年)に京都堀川七条に本願寺(現在の西本願寺、つまり、浄土真宗本願寺派の本山)は移転しました。

顕如上人没後、一度は教如上人が本願寺を継ぐも秀吉の命により隠退処分を受け、弟で三男の准如(じゅんにょ)上人が継職しました。しかし、隠退後も教如上人は活動を続け、慶長3年(1598年)の秀吉の死、慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いを経て、慶長7年(1602年)に京都烏丸六条・七条間の地を徳川家康から寄進されます。そして慶長8年(1603年)に上野国妙安寺(みょうあんじ)(現在の群馬県前橋市)から宗祖親鸞聖人の自作と伝えられる御真影を迎え入れて、同年阿弥陀堂を建立。慶弔9年(1604年)に御影堂も建立し、ここ、京都烏丸六条・七条間に新たな本願寺を建立したのです。これが現在の「真宗本廟」(東本願寺)で、教如上人は「東本願寺創立の上人」とされているのです。

その後も四度の火災や明治時代の廃仏毀釈で苦境に陥り、幕末の戦火で両堂を失います。しかし、全国の門徒による多大な懇念により財政再建が果たされて、明治に両道が再建されることになったのです。

浄土真宗の教え

親鸞聖人が開祖の浄土真宗ですが、浄土真宗は法然上人の教えを受け継ぎながらも更なる大変革を宗教にもたらします。「南無阿弥陀仏」と称えるだけで、悪人をも救われるという『歎異抄』の一説は有名ですが、念仏を唱えるだけで誰もが阿弥陀仏の力で極楽浄土にゆけるということ、そして何と言っても「他力本願」という教えは大変に革新的なのです。

浄土真宗の教えは、「南無阿弥陀仏」と称える信心さえあれば、往生できて成仏できるというもので、この教えは、大変に解りやすく、瞬く間に民衆の心を捉えたのです。

【寺院詳細】

浄土真宗・真宗大谷派 苗木山 南春寺
所在地:東京都新宿区弁天町103
Tel.(代):03-3268-5025
都営大江戸線(地下鉄)の「牛込柳町駅」、東京メトロ東西線(地下鉄)の「早稲田駅」より徒歩5分から7分
お墓・納骨堂:南春寺の墓地の他、御本尊&光明(納骨堂)、やすらぎの塔、有縁塔、永代供養付個人墓の無量壽

http://www.nanshunji.com/index.html (南春寺ホームページ)

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